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ワローワ郡()は、アメリカ合衆国オレゴン州にある郡の一つ。オレゴン州東部8郡の一つ。『オレゴン・ジオグラフィック・ネームズ』によれば、郡名の由来は定かではないが、漁業で用いられる「梁」を意味するネズ・パース語から派生したとする説が有力と考えられている。他に、「回転する水」を意味するネズ・パース語から派生したとする説がある。ルイス・クラーク探検隊の日記では、ワローワ川の名を指して''Wil-le-wah''と記録している。 2000年度国勢調査の時点におけるワローワ郡の人口は7,226人であった。郡庁所在地はエンタープライズである。 == 歴史 == 1871年、最初の白人開拓者たちがこの地に入植した。彼らはワローワ渓谷に家畜の飼料を求め、山々を越えて移住してきた。1887年2月11日、ユニオン郡の東部地域が分郡し、ワローワ郡が創設された。郡境界線の変更は1890年、1900年、1915年の3度に渡って行われた。 1877年、ネズ・パース人からワローワ渓谷の奪取を企む政府に腹を立てたネズ・パースの若きジョセフ酋長は、アイダホ州にある居留地への移住を拒否した。するとジョセフ首長を居留地へ強制移住させるべく、合衆国軍の一部の連隊が現地に派遣された。ジョセフ首長はいくつかの戦闘を交えた後、カナダの安全地帯を目指して約2000マイルの距離を進軍したが、カナダの国境まで40マイルというモンタナ州の土地で、降伏を余儀なくされた。ジョセフ首長を始めとする一隊の生存者達の一部はオクラホマ州で拘留を受け、その後、ワシントン州にあるコールビル居留地への強制移住を受けた。生存者のおよそ半分は、アイダホ州のネズ・パース居留地に移住した。 ワローワ郡では、オレゴン州で恐らく最悪となる対中国人暴力事件が発生したことがある。1887年5月、ある牛泥棒の集団がヘルズキャニオンにおいて34人の中国人金鉱労働者を殺害するという事件が起きた。事件には7人の牛泥棒と男子学生が加害者として関与したとされたが、実際にエンタープライズで裁判に立たされたのはその中の3人だけであった。陪審員団は1988年9月1日、3人を無罪であると評決した。この事件を忘れないようにと、被害者たちを公式地図上で追悼する提議があったが、2004年6月に却下された。却下の原因の一つに、現地の名家が加害者側と関係を持っていたことがあった。 夏季になるとワローワ郡に避暑に訪れていた過去の著名人に、連邦最高裁判所のウィリアム・O・ダグラス判事がいた。ダグラスは1939年、ロスティーン・リバー・ロード沿いに別荘を建てた。 2003年12月、あるデベロッパーが、ワローワ湖近郊の地所を購入し11件の住宅を建設する企画案を発表した。この地所は、上記の若きジョセフ首長の父である「旧きジョセフ首長」の墓所に隣接する場所にあった。この企画案は、ネズ・パース族、コールビル族、ユマティラ族などの地域団体からの反対を呼んだ。これより前に、国立公園局や公共地を守る会(Trust for Public Land)がこの土地を購入しようと計画したことがあるが、いずれも退けられている。2004年2月13日、郡委員会はデベロッパーに対し、この土地の最終的な街路図面を完成させることを条件付で承認したが、ネズ・パース族の弁護士は、同族はこの承認に反対しておりオレゴン州土地利用不服審査委員会に訴えるつもりであると述べた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワローワ郡 (オレゴン州)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wallowa County, Oregon 」があります。 スポンサード リンク
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